リモートワークのプラクティス


以前『リモートワーカーになった』でリモートワークを始めてみて感じた利点や不便な点を紹介しました。この記事の最終更新から9ヶ月ほどが経ち、リモートワークに対する知見はさらに深まっていきました。最近はCOVID-19の感染拡大対策として在宅勤務を推し進める企業も増え、生産性や働き方改革の観点からリモートワークのプラクティスを各人が共有し磨き上げていくのはとても有意義です。

この記事ではソフトウェア業において僕自身が実践しているリモートワークのプラクティスを共有します。「リモートワーク」は「在宅勤務」と同義として用いるため、ノマドカフェやコワーキングスペースにおけるリモートワークは範囲外です。この記事は筆者の都合により都度追記・加筆される可能性があります。

  1. 設備チェックリスト
  2. 用意したほうが良いもの
  3. 生活習慣は変えない
  4. 運動を取り入れる
  5. 集中できる環境を作る
    1. 余計なモノを視界に入れない
    2. ポモドーロテクニックを活用する
    3. 通知させすぎない
  6. 設備に投資する
  7. 注意すべきこと
    1. 組込み開発
    2. サポートや営業の電話番
    3. 紙の情報
    4. 経済的負担と要求
  8. 参考文献

設備チェックリスト

リモートワークの準備はできていますか? オフィスにあるものと同等の椅子やディスプレイを用意しろとは言いませんが、8時間を集中して過ごす以上最低限揃えなければならないものはあります。

  1. プライバシが確保されている部屋・空間
  2. 電気
  3. PC
  4. インターネット回線
  5. 疲れない姿勢を維持できる椅子

「最低限」と書いた以上どれも必要なのですが、優先度が高いものから並べています。

特にプライバシの確保は生産性を高めるだけでなく、社外秘情報を外部に漏らさないためでもあります。プライバシが確保できない場合、テロ・感染症・災害対策あるいは心身の障害により通勤ができないケースでない限りリモートワークをしないほうが懸命です。もしこれらに該当するなら、家庭内や住居内でなにかしらの取り決めをしたり、テントや事務用のパーテーションを購入したりして機密情報の保護に努めましょう。ノートPCを使うならのぞき見防止用のフィルタも有効です。

用意したほうが良いもの

次に挙げるものはリモートワークに必須ではありませんが用意できれば便利です。

リモートワークではビデオ通話を通して会話します。ノートPCに付属のオーディオとマイクでも会話は可能ですが、タイピング音やその他環境音も拾ってしまい快適な会話は難しいです。コールセンタで採用されているようなヘッドセットを使うことでより鮮明に会話ができます。

リモートワークはほとんどの場合ノートPCを使います。しかしノートPCは可搬性に優れているとはいえディスプレイが狭く、窮屈さや物足りなさを感じる人もいるでしょう。これは比較的安価な21.5型の液晶ディスプレイを拡張モニタとして繋ぐだけ改善されます。

そのほか、マウスやキーボードは自分好みのものを使ってください。上に挙げたものをすべて使おうとするとUSBポートが足りなくなるかもしれません。USBハブを使いポートを増やしましょう。

またノートPCで作業しているとどうしても目線が下を向いてしまい、首に負担がかかってしまいます。ノートPCスタンドで高さを調整することで身体への負担を軽減できます。ファンが底面に付いているノートPCなら、スタンドに置くことで排気熱がこもりにくくなります。

生活習慣は変えない

通勤する時間がなくなるぶん余暇に使える時間が増えます。多少寝る時間を遅らせたり深酒をしたりしてもコアタイムまでに起きれば見かけのうえではまったく問題ありません。ただし見かけだけで、浮いた時間に頼る生活をしているとオフィスへ出社するスタイルに戻るときとても大変です。

通勤がないからといって就寝・起床のリズムを崩してはいけません。オフィスへ行くときと同じ時間帯で生活すべきです。本来通勤中だったはずの時間帯は趣味や読書などに充てるか、フレックスタイム制の会社ならいつもより早めに仕事へとりかかるのが得策です。

睡眠以外にも、ひげを剃る・髪を整える・寝間着から着替えるなど他人に会うからこそやるような行動も変わらず続けましょう。出社する日のルーチンを崩さないのがベストです。

運動を取り入れる

リモートワークを始めると、歩いたり階段を昇降したりする運動を一切やらなくなってしまいます。通勤しなくなり足を使わずとも仕事を始められるからです。立っている時間の割合が少なくなり、ほとんど座りっぱなしで一日を過ごします。

Joe Kutnerの『ヘルシープログラマ』を読めば、歩くことの利点や座りすぎが身体に及ぼす害などについて学べます。ある種の運動だった通勤をしないぶん、どのタイミングで運動を取り入れるかヒントを得られるでしょう。

なにもしないと身体は鈍ります。プログラミングは脳を長時間働かせる活動なのは間違いありませんが、人体は様々なハードウェアが複雑に作用し合うシステムで、脳はその一部に過ぎません。

『ヘルシープログラマ』を参考にしつつ、リモートワークでも(あるいは「だからこそ」)できる運動を取り入れていくべきです。

ミーティングや電話中は立つようにする[Kutner2015, p116]
Bluetoothに対応したPCとヘッドセットがあれば、カメラを使わないミーティングでは部屋を歩き回りながら参加してもいいでしょう。
休憩の間は立つようにする[Kutner2015, p117]
リモートワーク中は立つ機会を逃さないようにすべきです。休憩中だけでなく、飲み物を飲むときや勤怠管理システムを使うときなども立つチャンスです。
休憩の間にエクササイズをする
柔軟体操や自重トレーニング、アイソメトリックトレーニングは特別な機器がいらず、5分もあれば1種はできます。腰痛対策として効果があるエクササイズは『ヘルシープログラマ』6章[Kutner2015, pp.93-120]を、全体的なストレッチメニューは『コンピュータユーザのための健康サバイバルガイド』6章[Stigliani1997, pp.72-83]を、自重トレーニングのプログラムについてはPaul Wade『プリズナートレーニング』を参照してください[Wade2017]。BIG6を鍛えながらコーディングできるのはリモートワークの強みのひとつですし、誰もそれを咎めはしないでしょう。

集中できる環境を作る

リモートワーク中は基本的に誰もあなたのことを見ないので、あなたがなにをしていようがそれに口を挟む人はいません。家の中は誘惑(スマホ・ゲーム機・私用のPC・漫画・小説……)だらけで、仕事をしていてもついそっちに意識をとられるのは仕方のないことです。ついそれらを手にとっても、誰も注意したり止めたりしてくれません。「社会人として……」とか「職人意識が……」とかを考えて自分を責めるより、これはもう本当に仕方のないことだと割り切って、どうすれば仕事に集中できるかを考えましょう。

余計なモノを視界に入れない

まず、誘惑の元となるモノすべては押入れの奥など仕事中目に留まらないところへしまいましょう。誘惑に駆られる原因として「視界に入ってしまう」が挙げられます。解決策は単純です。視界に入れなければいいのです。特にスマホはつい手をのばしてしまうデバイスですから、通勤用のバッグにしまい、バッグごと押し入れへ収納しましょう。

Thomas Limoncelliが『エンジニアのための時間管理術』2章2節で述べた集中しやすい環境づくりを実践しましょう[Limoncelli2006, pp.16-18]。少なくとも机の上には注意を引くなにかを置かないようにすべきです。

ポモドーロテクニックを活用する

「人間は長時間集中できない」と自分の弱さを認めたうえで生産性を追求するテクニックもあります。Francesco Cirilloが考案したポモドーロテクニックは、25分集中して作業に取り組み、5分休憩するのを繰り返すものです。1回のこの繰り返しを「ポモドーロ」と呼びます。4の倍数回目の休憩は15分とるパターンもあります。

『ヘルシープログラマ』では、このポモドーロの休憩中になにかしらのエクササイズをする「ポモドーロワークアウト」を推奨しています。僕自身、ポモドーロの休憩中は立ち上がって部屋を歩いたり、自重トレーニングをしたりすることで運動量を稼いでいます。

John Sonmezは『SOFT SKILLS』の中で「週に40時間働くからといって、80ポモドーロをこなせるわけではない(あなたがその偉業を達成できるなら、私は本当に驚くだろう)」[Sonmez2016, p216]と述べています。計算上一日8時間働くならポモドーロは16回できるはずですが、実際のところ不可能です。会議がないまったく空きの日に頑張ってもせいぜい10ポモドーロあたりが限度で、それ以降は疲れて惰性で働きたくなり、ポモドーロのタイマーを動かす気になれません。ポモドーロテクニックはインターバルトレーニングのようなもので、激しい疲労感を呼ぶものなのです。

一日にこなしたポモドーロの数を日ごとに記録していくと、「何曜日は何ポモドーロできるはずだ」という基準が見えてきます。これをもとに曜日ごとの目標を決めたり、一日のパフォーマンスをふりかえったりできます。

通知させすぎない

自宅では突然声をかけられたり、雑談の話題を振られたりすることによる割り込みが発生しません。これはとても都合が良いことです。Tom DeMarcoとTimothy Listerによれば、生産性を上げるには割り込みや騒音によって精神集中が中断されない状態を維持するのが重要だからです[Demarco2013]。

ただし、声掛けによる中断はなくなったものの依然としてチャットやメールの通知による割り込みは発生します。リモートワークならそれがより顕著になるでしょう。直接声をかけられない以上、これらのツールがコミュニケーションの要になるからです。

これらによる通知はどうすればいいのでしょうか? 解決策は単純です。通知を切ってしまえばいいのです。Neal Fordが『プロダクティブ・プログラマ』で述べたように、不要な通知を切ることで気が散る要因をひとつ取り除くことができます。[Ford2009, pp.46-47]。受信箱に入ってくるメールの中で返信すべきものは少ないですし、5分以内に返信しないといけないメールはまずありえないでしょう。チャットだって例外ではありません。本当にリアクションしないといけないメッセージにはメンションを入れてもらうようチーム内で合意をとることで、大体のメッセージを無視できます。

Slackを使っているなら、本当に必要なチャンネル以外には参加せず、generalチャンネルはミュートしましょう。randomなど参加する必要のないチャンネルから抜けましょう。メンションが付いていないメッセージはポモドーロの休憩中にチラリと読む程度で構いません。

メールも同じことです。受信箱にメールが届いても通知を出さないように設定しましょう。メールボックスに溜まったメールを読むのは1〜2時間に1回程度で問題ありません。ただし、サポート業務などでメールボックスを頻繁に確認しないといけないケースもあります。そのときはサブジェクトや送り先をもとにメールを振り分る機能を活用しましょう。「サポート用受信箱」になにかメールが届いていないか確認するだけで済みます。

Windowsの仮想デスクトップのような、デスクトップを仮想的に切り替えられる機能を活用しましょう。「コミュニケーション用デスクトップ」と「作業用デスクトップ」の2つに分け、デスクトップを切り替えないとメールやチャットができないようにしましょう。

設備に投資する

Josb Carterは『プログラマのためのサバイバルマニュアル』の中で、ディスプレイ・キーボード・マウスへ投資すること、身体に合った机や椅子を探すことの重要さを強調しています[Carter2012, pp.131-135]。Joan Stiglianiは反復運動過多損傷の対策のひとつとして、人間工学的に設計されたキーボードを使うことを推奨しています[Stigliani1997, pp.122-128]。

家の作業環境の質はオフィスよりも低いと感じますか? もしそうなら、長期間のリモートワークによって身体的な(特に腰や首に対する)ダメージが蓄積していく可能性も拭いきれません。経済的な余裕があるならエルゴノミクスの観点から見て優れた道具を揃えましょう。会社全体にリモートワークが浸透していけば、交渉次第で道具への費用負担をしてくれるかもしれません。

注意すべきこと

組込み開発

組込み開発にて、秘密保持契約を締結したうえで貸与された開発用ボードを扱っている場合、無許可でボードを社外に持ち出してはいけません。

案として、オフィスの開発機とボードとをシリアルコンソールで繋ぎcu(1)などからボードのコンソールへ接続できるようにする手があります。しかしハードウェアレベルの操作が必要になる可能性があるなら安心できませんし、それが開発工程の中で必須だとリモートワークは不可能です。

サポートや営業の電話番

リモートワーク中に顧客からかかってくる電話をどうするのか会社全体(あるいはチーム全体)が把握していますか? 社用のスマートフォンを持ち出してリモートワークしていても電話をとれるようにするのか、誰かがオフィスで待機する必要があるのか、電話受付を一時的に中止するのか……などリモートワークを実施する動機・理由に合わせたやり方があります。また、やり方を決めたとしてもステークホルダ全員が決定事項を知っていなければなりません。

紙の情報

ホワイトボードや付箋など、オフィスへ行かないと参照できない媒体で残された情報はすべて電子化してありますか? ここではプロジェクト管理やタスク管理は電子化したほうが効率的だと主張するわけではありません。しかしチームメンバ全員がリモートワークをして一箇所の拠点に集まることができないなら、そのような情報はすべて電子化する必要があります。なにかしらのSaaSを契約したり、社内サーバにプロジェクト管理ソフトウェアを導入したりすることになります。

経済的負担と要求

環境や季節に応じて、オフィスへ行くよりリモートワークするほうが家計への負担は大きくなります。一般的に電気・ガス・水道代は上がります。冬の北海道・東北地方では暖房代がかかります。真夏の関東地方ではエアコンが必須です。

このような経済的負担に対するスタンスは企業によって様々です。本音を言えばこれらの費用は会社側で負担してもらいたいものですが「○社はこうしているからウチもこうすべきだ!」「社員に設備代を肩代わりさせているだけだ!」といった主張を一方的に論じたところでなにも変わらないことは確かです。雇用主や管理本部との溝を深めるか、言いたいことを言ってフラストレーションを発散させるだけが関の山です。

福利厚生に関する要求を主張するときは、議論に勝つことではなく福利厚生の改善が目的なのを忘れないようにしましょう。議論に勝ち、相手の誤りを指摘し、興奮した口調でまくしたててなにが変わるのでしょうか? 仮に今回は「勝った」として、次回から交渉のテーブルが設けられることはあるのでしょうか? 制度を決める側も完璧ではありません。経験のない職種や暮らしたことがない地域のことがよく分かっていないだけかもしれません。このようなときにこそ歩み寄りと相互理解の努力が求められます。

地域の都合は住んでみないと分からない?

新型コロナウイルス感染拡大防止のために、事態収束まで特別の事情がない限り出社は禁止でリモートワークすることになりました。この「原則リモートワーク」の状況は立て続けに延長され、ついには6ヶ月以上先まで延長されました。

リモートワークなら冬の間は暖房代がかかって大変だと関東在住の人事部の方に話すと「でも東京も夏は冷房代がかかりますよ」と返されました。東京の冷房代と北海道冬季の暖房代が等しいと思っているような言い方でした。話を続けると「暖房代」とは電気代のことだと思っていたようです。冬の北海道では灯油ストーブが暖房としてひろく使われており、灯油代は電気代より高いことを話すと、とても驚いていました。

反対に、北海道から離れたことのない人は東京で連日続く殺人的な蒸し暑さや水のまずさや川の汚さを想像するのが難しいでしょう。その地域の都合は実際に暮らしてみないと分からないものではないでしょうか。

参考文献

[Carter2012]
Josb Carter 著, 長尾高弘 訳, 『プログラマのためのサバイバルマニュアル』, 株式会社オライリー・ジャパン, ISBN978-4-87311-571-9, 2012
[Demarco2013]
Tom Demarco & Timothy Lister 著, 松原友夫 山浦恒央 長尾高弘 訳, 『ピープルウエア 第3版 ヤル気こそプロジェクト成功の鍵』, 日経BP社, ISBN978-4-8222-8524-1, 2013
[Ford2009]
Neal Ford 著, 島田浩二 監訳, 夏目大 訳, 『プロダクティブ・プログラマ—プログラマのための生産性向上術』, 株式会社オライリー・ジャパン, ISBN978-4-87311-402-6, 2009
[Kutner2015]
Joe Kutner 著 Sky株式会社 玉川竜司 訳, 『ヘルシープログラマ プログラミングを楽しく続けるための健康Hack』, 株式会社オライリー・ジャパン, ISBN978-4-87311-728-7, 2015
[Limoncelli2006]
Thomas A. Limoncelli 著, 株式会社クイープ 訳, 『エンジニアのための時間管理術』, 株式会社オライリー・ジャパン, ISBN4-87311-307-5, 2006
[Sonmez2016]
John Z. Sonmez 著, 長尾高弘 訳, 『SOFT SKILLS ソフトウェア開発者の人生マニュアル』, 日経BP社, ISBN978-4-8222-5155-0, 2016
[Stigliani1997]
Joan Stigliani 著, 矢部文 訳, 『コンピュータユーザのための健康サバイバルガイド』, 株式会社オライリー・ジャパン, ISBN4-900900-52-4, 1997
[Wade2017]
Paul Wade 著, 山田雅久 訳, 『圧倒的な強さを手に入れる究極の自重筋トレ プリズナートレーニング』, 株式会社CCCメディアハウス, ISBN978-4-484-17106-7, 2017